『復讐の十字架』というかなり抽象的でパッとしない邦題だが、映画を観るとこの重苦しさが腑に落ちる。『ロード・オブ・ザ・リング』や『パイレーツ・オブ・カリビアン』で有名なオーランド・ブルームを主演に据え、彼の端正な顔立ちと演技力を凝縮したような1作。ジャケットではオーランド・ブルームが巨大な十字架を担いでいるが、因縁の相手と戦うための武器ではない。あくまで比喩である。
キリスト教において十字架とはキリストへの敬意を示すものであり、最も重要な宗教的象徴。この映画の主役、オーランド・ブルーム演じるマルキーは解体作業員として町の教会を取り壊している。それだけでなく、この映画においてキリスト教は非常に強い意味合いを持つのだが、それは後ほど触れていく。
宗教を題材にしており、非常に重苦しい内容だが、マルキーがたどり着いたアンサーに誰もが心を打たれるであろう。怒りや許し、人間の感情を極限まで演出するオーランド・ブルームの演技力が光る作品だ。
解体作業員のマルキーは何かに取り憑かれたかのように教会を解体していく。次第に彼は暴力的になり、病弱な母親や恋人と不仲に陥り、友人を殴ってしまう。そんな彼には、決して忘れることのできない深いトラウマがあった。
ここからはネタバレあり。
マルキーが抱えるトラウマというのは、幼少期に町の神父に性的虐待を受けたことであった。彼が一心不乱に教会の解体作業に勤しんでいたのもそれが理由である。そして、数十年ぶりにその神父が町に帰ってくる。封印されていた記憶が解き放たれ、彼は平常心を保てなくなってしまう。母親や恋人に暴言を吐き、友人に暴力を振るうまでに追い詰められてしまうマルキー。誰一人信用できず自分を許すこともできず、ひたすら苦しみ続ける彼がある日家に帰ると、母親がリビングで死んでいた。
ここからの2連続長回しカットが素晴らしい。苦しみ、悩み、もがき続けたマルキーが母親の死体と因縁の神父に感情をぶつける見事なシーン。そして、彼の口から語られる母親が当時のマルキーの言葉を信じなかったという過去。マルキーが数十年に渡って苦しみ続けた出来事は、彼の母親にとって「そんなことするはずがないでしょ」の一言で済んでしまうほどのものだったのだ。これは我々の日常生活にも当てはまる。何気なく相手に放った一言を、相手は何年も覚えていたり。その言葉が相手を傷つけることになったり。自分にとって些細なことでも、相手にとっては深刻な悩みだったりするものである。マルキーが必死に訴えた神父の罪は、母親にとっては息子の戯言にすぎなかったのだ。最愛の母親に裏切られた彼は、それ以降人を信じることができなくなってしまった。
聖職者による性的虐待事件は、現実でも社会問題になっている。キリスト教的価値観の浸透していない日本ではあまり取り沙汰されないが、21世紀に入って以降、アメリカのメディアが大々的に報じたことで事件が明るみに出た。その後も、ドイツ、アイルランド、イギリスなどなど、世界各地で性的虐待の事件があったことが明らかになり、世界を震撼させている。
アカデミー賞を受賞した『スポットライト 世紀のスクープ』という映画でも、聖職者による性的虐待事件を扱っている。2002年にアメリカで性的虐待の証拠を集め、教皇という強大な敵を相手に、ひるむことなく事件を明るみにした記者たちの物語である。事実と異なる点もあるというが、興味のある人はこちらを観てみるのもいいかもしれない。
現実社会の時間と映画がどれだけ符合しているかは分からないが、マルキーが性的虐待を受けた幼少期は、おそらくまだ教会の負の側面が明らかになっていない頃だろう。それ故に、彼の母は息子の言葉を信じようともしなかったのである。しかし、母の死体の横で開かれていた聖書を読んだ彼は、この因縁に決着をつけるべく神父のもとへ向かう。告解部屋に入り、神父に正体を隠したまま当時のこと、それに苦しんで生きてきたこと、復讐を生きがいにしていたことを語るマルキー。そして、彼は最後に神父を許す道を選ぶ。和解とはいかないまでも、半ば一方的に自らの過去を片付け、神父を許してしまう彼の選択までの思考が告解部屋の定点カメラから長回しで語られる。暗闇の中心に翳った瞳で感情を爆発させるオーランド・ブルーム。部屋の狭苦しさが重厚な緊迫感を醸し出す見事な演出。マルキーが去った後、残された神父は動揺し、自殺の道を選ぶ。体にガソリンを浴び、広がる平原で炎に包まれるのだった。
復讐を辞め、相手を許すという選択肢はフィクションの中では”美徳”とされるが、現実でそれを実行するにはとても勇気がいることだ。傷つけられた相手が何のお咎めもなく暮らしているという事実に耐えられない者もいるだろう。この映画の面白いところは、マルキーの英断ももちろんだが、最後に自殺を選んだ神父の心情にもある。神父にとってはこれが最も残酷な”復讐”だったのだ。聖職者として神に仕えていたからこそ、彼にとってマルキーの決意は自らの罪を浮き彫りにするものだった。自殺を選んだのは、良心の呵責に耐えきれなくなったためだろう。
マルキーが神父を許すきっかけになった聖書の言葉はローマの信徒への手紙12章である。そこにはキリスト教徒としてどう生きるべきかが記されており、劇中でもあったように「もしあなたの敵が飢えるなら、彼に食わせ、乾くなら、彼に飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃えさかる炭火を積むことになるのである」と記述されている。これを頭に入れておくと、マルキーの行動原理を理解できるはずである。暴力で神父を殺そうとしていた彼は、聖書の記述に感化され、最も効果的な復讐、すなわち善として悪に立ち向かうことを選んだのだ。ちなみに、この映画の原題は『ROMANS』。これはローマの信徒への手紙のことであり、この記述が映画にとっていかに重要かを示している。邦題がこんな風になってしまったのは日本にキリスト教が馴染んでいないせいだろう。
とまあ重苦しい物語ではあるが、オーランド・ブルームの魅力を堪能するだけでも、自然と物語に没入してしまうだろう。それほどの力を持った映画なのである。
- 作者: ラニエロカンタラメッサ,Raniero Cantalamessa,小西広志
- 出版社/メーカー: サンパウロ
- 発売日: 2014/03/05
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
- この商品を含むブログを見る