この映画が上映する前の予告で、「事故物件 怖いカレシ」というものがあった。クロちゃん演じる地雷カレシが相手の誕生日プレゼントにリボンで包んだ自分を送ったり、一緒にホラー映画に行くとビビッてやけにうるさかったりという、最早ホラー映画にとっては付き物のティーン呼び寄せウケ狙い予告である。恐怖と笑いは紙一重とよく言われるが、その言葉はいつしかエスカレートしていき、貞子は始球式に参加する羽目になった。そんな貞子の存在を確立させた映画『リング』も担当した中田秀夫監督の最新作がこの『事故物件 怖い間取り』。正直、ホラー映画ファンとしては中田監督が『リング』を撮れたのは奇跡くらいに思っていて、あまり信頼はしていない。ただ、ホラーといえば中田監督というイメージが製作者側にもあるのだろうし、実際内容の如何は置いといて、興行収入やレンタル稼働率はなかなか凄い。脚本は『こどもつかい』のブラジリィー・アン・山田。あえて詳しくは触れないが、私は『こどもつかい』もかなりダメだったので、正直この映画には全く期待していなかった。
芸人・松原タニシの名前はここ数年でよく耳にするようになった。原作となった書籍もそうだし、怪談界隈でもトップクラスの知名度を誇り、一般にも「事故物件の人」というイメージがついている。私はホラー映画やホラー小説のフィクションとしての恐怖が好きなので、実話系にはあまり明るくない。原作も読んでいないため、この映画が実写化映画としてどうだったのかという視点は持っていない。ただ一つ間違いなく言えるのは、この映画が明らかに「おかしい」ということである。可笑しいのではない。「おかしい」のだ。年に50本近く映画館で鑑賞しているし、自宅でのものも含めると年300本は観ているはずなのだが、それでもこんな奇妙な映画には出会ったことがない。映画としても、ホラーとしてもかなり異色。でも、別に面白いわけではない。怖くもない。今回はその「おかしさ」について触れていこうと思う。ネタバレもあるので未見の方は注意してもらいたい。
まずは単純に芸人とホラーという組み合わせ。そりゃあ原作者が芸人なのだから芸人として奮闘するシーンがあるのは当然なのだが、それでも笑いと恐怖という組み合わせが違和感を醸し出している。冒頭、瀬戸康史と亀梨和也のコントから始まり、しかもそれが役者も演出もノリノリなのだ。ホラーの冒頭って、人が死んだりなんとなく怖いシーンが挿入されたり、そういうものだと思う。映画に限らず、フィクションとは往々にして最初の一撃で相手にインパクトを与えなくてはならないのだ。アクションものならバトルやカーチェイスで始まる。時に時系列を無視してでも(オープニングの後に「こうなったのは数日前に遡る…」的なやつ)視聴者の心を掴まなくてはならないのに、この映画はそれを二大イケメン役者のコントで補おうとしている。いや、面白いけどね! 関西弁で軽快に喋る瀬戸康史と女装姿の亀梨和也、面白いけどさ!
まあ、その後はウケないせいでコンビ解散→実質失業→番組の企画で事故物件に住むことにという流れ。これは実際の松原タニシの経歴なのだろうか。そこでヒロインと交流を深め、元相方との友情も描かれていく。登場人物が少ない分、人間関係が単純なので物語に集中できるのはいい点。で、そこから亀梨君が事故物件を計4つ、撮れ高があるたびに点々と引っ越しを繰り返すのだが、これが映画としてかなり異色。普通ホラー映画って、倒すべき幽霊や解決すべき問題があって、その怪異に襲われながらも目的を達成するという構成が主流。それなのに、この映画は生活費を稼ぐために事故物件を転々とする男を描いているので、各物件で起こった霊的現象に立ち向かう必要が全くない。例えるなら『ONE PIECE』のルフィが各島々を冒険しつつも「ふ~ん。この島ではこんなことが起こってるのか」と敵たちの悪事を横目に通り過ぎていくようなものである。実話をもとにした文章を実写化しているので仕方がないとはいえ、このオムニバス感。怪異を全く引きずっていない感じ。この斬新さにはかなり驚かされた。
そしてラストバトル。バトルと表現するのが適切だろう。先に触れたこの映画のオムニバス感=各物件での怪異を解決することなく先へ進む、ということの意味が最終決戦で遂に明かされる。実は事故物件を渡り歩いた主人公には強力な霊(とは明言されていないが便宜上)が憑りついており、4軒目の物件で遂にその霊が姿を現す。そう、黒マントの男である。暗くてよく分からなかったが、黒色で顔が塗りつぶされていたと思う。4軒目の物件に入った途端に主人公は意識を失い、目覚めてコンビニから帰ってきたところに複数の霊が現れる。それらは主人公が渡り歩いてきた事故物件に存在した霊たちだろう。ネットでは「アベンジャーズ」と揶揄されていた。主人公を囲んだ霊たちだったが、ここに来る前に高田純次から渡された(しかもジャケットの裏に大量に仕込んでるの何?)お守りの力で全員塵となって消える。
助かったと思ったのも束の間、黒マントの男が現れ主人公とヒロインを操り無理心中させようと体を操る。絶体絶命の危機に駆けつけたのは、田舎に帰ったはずの元相方、瀬戸康史! 事故物件を仲介してくれた不動産屋のおばちゃんから倒す方法を伝授された彼は必死に戦うが、黒マントはそんなものでは倒せない。霊がアベンジャーズみたく集まってきたと思ったら今度はこれまでの登場人物たちがアベンジャーズみたいに集まってきた。最終的には主人公がヒロインと出会ったときに渡したコントの小道具の傘が切り札となり、黒マントの撃退に成功する。いや、この展開、何!!!!
多分この映画を観た多くの人が序盤は「まあ普通かな、いつ怖くなるかな」と思いながら観ていて、中盤で「あれ、あんまり怖くないな」と気づき始めることだろう。そして終盤で、口をぽかんと開けることになる。というのも、霊と戦う・霊を撃退するというプロットはホラー映画では定番なのだが、この映画にはその文脈がほぼ発生していなかったのだ。要は、「この霊を倒せば終わり」というゴールが示されないまま、ただ事故物件を転々としていくという状況だけが繰り返されていたのに、即席でゴールが作られ、なんだかよく分からないまま登場人物全員が笑顔でゴールテープを切ってしまう。ホラー映画のラストとしては、まあアリなのだけどこの映画のラストとしては完全にナシだよな、という。瀬戸康史と不動産屋のおばちゃんが知り合いっていうのもなかったじゃん。黒マントの男の詳細もなかったじゃん。
2つ目に示した「各物件での怪異を解決せずに進む」という奇妙さが、最終決戦の総登場という見せ場を盛り上げるためのものだったとしても、お祓いとか成仏とか、霊を倒す・撃退するという概念が出てこないと不自然になってしまう。最終的に主人公とヒロインは結ばれて普通の物件に住むことにするのだが、それも「事故物件なんて住むもんじゃない」というテーマがあるわけでもないし、この映画マジで縦軸がボロボロすぎて何も言えなくなる。どん底に落ちた主人公の再生の物語と捉えても、結局事故物件を仕事にしてしまった以上、彼はそれをそう簡単に卒業できないし。ただ二人が結ばれただけじゃ、「じゃあ生活どうするんだよ」とつっこんでしまう。主人公の人を笑わせることが好きという性格もラストに全然繋がってこないし。マジでラストで活かされたの傘だけじゃん!
と、不満っぽくなってしまったのだけれど、この「おかしさ」が妙にクセになるというか。中田監督の前作『貞子』が普通につまらなかったのもあって、ボケを通り越して無になれるという意味ではなんだか愛せる映画だったと思う。でも期待して観に行った人たちは可哀想……。最近だと乙一監督・脚本の『シライサン』というホラー映画が最高だったので、この映画に満足できなかった人はこちらを観ましょう。
でも結構ヒットしているらしいし、やはりホラー映画が盛り上がっている現状は嬉しい。映画のある場面で「助けて」という声が入っているという噂もあるが、これはどうだろうか……。
全体的には、ホラー映画王道ではなく、トンチキホラーの金字塔といったところ。マジでここまでいい加減なホラー映画を私は知らない。そのいい加減さを楽しめるかというのがこの映画のポイント。後、普通に怖いシーンもあるのでそれはよかった(赤い服の女とか)。