てっきりジェームズ・ワン制作の一般ホラー映画かと思いきや、今やホラー映画界でトップレベルの人気を誇る死霊館シリーズの新作だった本作。確かにポスターなどにも『死霊館』のタイトルは書いてあるのだけれど、この書き方ではうまく伝わらないような気も。ただ、映画自体は構成も霊の外見も演出も音楽もすべてが『死霊館』テイストなので、シリーズを追っている人なら確実に楽しめるつくりになっている。本編とスピンオフの登場人物が交差する構成が死霊館ユニバースの特徴だが、この『ラ・ヨローナ』は他作品との関連は薄く、単独でも十分面白くしっかり怖がれる作品だった。
ちなみにタイトルにもある「ラ・ヨローナ」というのはメキシコに実際に伝わる伝承のことだとか。下記のサイトがその伝承を詳しく解説しているので、興味を持った方はぜひ一読を。これを読めば映画に登場する「ラ・ヨローナ」がかなり伝承に忠実であることが分かる。
肝心の映画の内容だが、死霊館らしい非常に緻密なホラー映画となっていた。監督は、制作のジェームズ・ワンが惚れ込んだという新進気鋭のマイケル・シャヴェス。まだ長編作品の経験があまりないということで実力は未知数だったのだが、死霊館シリーズ3作目に抜擢されたというニュースにも納得の出来。
『ラ・ヨローナ』の映像的な特徴として”極端な長回しカット”が挙げられる。多くは人物の背後から、時には全く別の視点で何度も長回しの演出が繰り返され、それが程よい臨場感を醸し出している。死霊館シリーズでも長回し演出は散見されるが、これまでの作品での演出とは一味違う。これまでの長回しは言わば前フリとオチの同時攻撃であった。長回しカットで一度映したなんともない風景が、一度フレームアウトし、再びそこが映ると、さっきまでいなかったはずの霊や悪魔がいる、という恐怖感。POVなどで多く使われる手法だが、これが没入感も相俟って非常に効果的な演出となっていた。しかし今作では、多くの長回しが前フリの役割しか担っていないのが特徴。肝心のラ・ヨローナの出現は敢えてなのかカットを変えてよりインパクトを優先させた形だ。
また、構成も非常に緻密。ホラー映画に精通していなくとも、映画を観ているとなんとなく、「これは何か出るぞ」という感覚に陥ることがあるだろう。その感情をどう誘導するかがホラー映画監督の腕の見せ所だと思うのだが、シャヴェス監督はその点では非常に優れている。例えば、少女がラ・ヨローナに接触した後、部屋ですすり泣く場面。少女はなぜかベッドの上ではなくカーテンの奥に隠れながら泣いており、観客は「これはもしかして少女と見せかけてラ・ヨローナなのではないか」と疑う。そう思わせる不気味さが漂う演出なのだ。しかし、兄がカーテンを開けるとそこにいたのは紛れもなく妹である少女だった。要するにミスリードである。しかし、この後に似たような場面が現れる。カーテンの中からすすり泣く声が聞こえ、確かめてみるとそこにいたのはなんとラ・ヨローナだったというオチ。言葉で示すとあまり伝わらないかもしれないが、お風呂の場面だったりと、何かと前フリが丁寧なのもこの映画の特徴。90分というタイトな上映時間でもしっかりと物語の妙を感じさせてくれる。
内容的な特徴としては、シリーズ初のシャーマンの登場が挙げられる。これまでウォーレン夫妻をはじめとして、死霊館ユニバースには様々な霊・悪魔と対峙する人間たちが描かれてきたが、今回は機械や能力に頼らない元神父のシャーマン。神は信じるが教会は信じないという変わり者で、風貌も到底カタギの人間には見えない。しかも主人公たち家族を利用してラ・ヨローナを倒そうとする。こういったアウトローなキャラクターの登場で、死霊館ユニバースは更に拡張された。ぜひ『アベンジャーズ』のようなシリーズ総決算作品を観たいものだが、そういった大きな括りではなく敢えて家族という小さな単位に重きを置いているのが死霊館の特徴。単純に霊媒師をたくさん出して共闘させてという流れでは満足できないのも事実だ。ちなみに、劇中でも示された通り、この映画に登場する神父はアナベル事件に関係している。
死霊館シリーズの中では比較的オーソドックスな作りになっているが、90分でここまで心拍数を高められるホラー映画もなかなかないだろう。「水に近づいてはならない」というやたら水推しの宣伝はどうかと思うが(そもそも劇中で「君たちに憑いているからどこにいっても無駄」と言われているし)、サクッと程よい恐怖を得るためには十分すぎる出来だし、死霊館シリーズのファンも絶対に楽しめる内容になっている。シャヴェス監督がメガホンを撮るという死霊館3が今から楽しみになってしまった。