この記事は内容のネタバレ・結末に触れています。未見の方は注意してください。
ポン・ジュノ監督の名前と評判は知っていたのだけれど、恥ずかしながら過去作は1度も観たことがなく…。最新作が公開されると知り、敢えて過去作を観ずに先行公開に飛び込んだところ、これが大当たり。むしろこれまで監督の映画に触れてこなかったことを後悔するばかりであった。
宣伝ではネタバレ厳禁とされているし、映画の前にはご丁寧に監督から「ネタバレしないでね」とコメントまであるのだけれど、決してネタバレが映画の魅力を貶めることにはならない。もちろん何も知らない方が楽しめるが、知っていても十分引き込まれる映画だと思う。それほどまでに内容が深く、面白い。韓国だけでなく全世界で社会問題となっている、資本主義ゆえの格差社会。半地下と呼ばれる道路より低い陽の当らない家に住む家族と、豪邸に住む富裕層がひょんなことから接点を持つ物語だが、これが思わぬ展開へと進んでいく。描いているテーマは重苦しいはずなのに、喜劇のようなテンポでゆっくりと鑑賞する私たちの中に寄生してくるこの映画は、とんでもない惨劇を生んでしまう。
「予測不能な展開」や「ネタバレ厳禁」という宣伝に関しては、映画なら展開なんて誰にも予測不能だしネタバレだって当然ダメだろと思う派なので釈然としていないが(敢えて言うことか?と)、そんな拙い宣伝でもこの作品が多くの人に届くのならば見過ごすことができる。
半地下に暮らす4人家族のキム一家。父ギテク、母チュンスク、兄ギウ、妹ギジョン。4人は貧しい暮らしをしているが、決して怠惰な人間であるわけではない。父は何度も事業に挑戦しているし、母は元ハンマー投げの選手。兄も学歴を手に入れようと大学受験に挑み、妹は美大に通おうと奮闘していて公文書を偽造できるほどの才能がある。決して人生を諦めたわけではなく、偶然にも恵まれなかった家族なのだ。そんなキム一家の寄生先が、豪邸に住む同じく4人家族のパク一家。IT企業の社長である父ドンイク、その妻であまりにも純粋すぎるヨンギョ、年頃の女子高生である姉のダヘ、インディアンにハマっているわんぱくな弟ダソン。そして家政婦のムングァン。ダヘの家庭教師をしていた友人から留学期間だけ代理を頼まれたギウは、見事にパク一家に寄生する。その後もダソンの家庭教師としてギジョンを、ドンイクの運転手としてギテクを、ムングァンを追い出し新たな家政婦としてチュンスクがパク一家に侵入。4人の計画は大成功を遂げた。
しかし、パク一家がダソンの誕生日を記念して数日キャンプに行ったことで、綻びが生じてしまう。パク一家の留守をいいことに、他人の家で豪遊するキム一家。そこに追い出したはずのムングァンが現れ、忘れ物をしたから家に入れてくれと豪雨の中、懇願してくる。仕方なく家に入れるとムングァンは誰も存在を知らなかった地下室へ。そこには数日何も口に入れず瀕死状態のムングァンの夫がいたのだ。ムングァンは家政婦時代、夫のために食料を盗み与えていた。意外な事実に驚いていると、ムングァンにキム一家の正体がバレてしまう。スマホで動画を撮られ、ボタン1つで自分たちの運命が決まってしまう。硬直状態の6人のもとに、ヨンギョから「今から帰るからご飯作って」と連絡が来る。その隙を突き、ムングァンと夫を再び地下へ追いやるキム一家。しかし戦闘の果てにムングァンは階段から落ちた衝撃で頭を強く打ってしまう。
なんとか家を元の状態に戻したものの、ダソンが急に庭にテントを張り、両親はリビングで寝転びながらその監視を始めてしまう。テーブルの下に隠れていたチュンスク以外の3人は逃げる機会を息を殺して待っていた。そこでドンイクとヨンギョの会話を聞いてしまう。ドンイク曰く、ギテクは「態度は一線を越えないが、匂いが一線を越えている」。隙を見てなんとか家を脱出したものの、外は豪雨。帰宅すると、半地下の住宅は洪水が起き汚水にまみれていた。翌日、避難所生活を強いられたキム一家のもとに、ダソンの誕生日パーティーをやるから来てほしいとそれぞれ連絡がくる。ギテクはこれまでのことを思い返し、「計画はない。それなら失敗しなくて済む」と呟く。
避難所で手に入れた服を着て、各自パーティー会場へ乗り込む。インディアンの格好をさせられたギテク。ダヘと隠れてキスを繰り返すギウ。地下室に残してきたムングァン達が心配になったギウは、親友からもらった水石を抱えて地下室へ。しかし、ムングァンを殺された怒りから、その夫は反撃の牙を研いでいた。地下室を訪れたギウを返り討ちにし、入り口で倒し水石を頭上に落とす。キッチンで包丁を手にした彼は、そのまま庭へ行き、群衆の中ギジョンの胸に包丁を突き刺す。慌てふためく富裕層の人々。チュンスクが男を止めようとするが、失うものがない彼の暴走は止まらない。ギテクはギジョンの元へ行き助けを請うが、パク一家含めその声に耳を傾ける者はいない。ドンイクはギテクに「車を出せ!」と要求。ギテクが渋っているとキーを寄越せと手を伸ばす。なんとか犯人の男を倒すも、ギテクの怒りは頂点に達していた。ギテクはドンイクに包丁を突き刺し、そのまま逃走。こうして惨劇は終わりを迎える。
昏睡状態から目覚めたギウは、妹ギジョンの死、父ギテクの失踪を知る。しかし、暫くして遠くからパク邸を眺めていると、灯りがモールス信号になっていることに気づく。ムングァンの夫が用いた手だが、彼はもういない。この仕掛けの犯人は父ギテクだったのだ。新たな住人に気づかれないようこっそりと地下で暮らしている父の近況を知ったギウは、父に手紙を書く。真面目に勉強して大学に行って金持ちになっていつかこの家を買う。そして、父さんと再会するのだと。しかし、窓の外から酔っ払いが小便をする風景が見えるこの家の暮らしからすると、その理想はまだまだ遠い。
以上あらすじ。
正直に言うと、予測不能な展開という割には、オチは結構読めてしまう。私なんかは、始まってすぐにこれはニコニコしながらも最後は理不尽な社会への憎しみを込めてパク一家皆殺しのオチかなあと思っていたのでそれよりはマイルドに落ち着いた。だが、冒頭でも書いたようにこの映画の魅力は展開が読めてしまう分かってしまう程度で損なわれない。最も凄いのは、やはりこの重苦しいテーマに笑いのセンスを融合させてしまうところである。小難しい本を読むのが嫌いという人は多いはずだ。学術書・論文、大学時代に難解な言い回しや専門用語に疲れ果てたという経験もあるだろう。テーマや記録を淡々と綴られても面白みがない。だから勉強を苦痛に感じてしまう。しかし、この映画は格差社会という壮絶な問題を根底に描きながら、それをユーモラスに見せてくれる。極端な話、子どもでも楽しく観ることができるのだ(若干の濡れ場はあるが)。つまり、これを喜劇だと笑っている時点で既にこの映画に寄生されていることになる。ひたすらに笑わせ続けられた観客たちは終盤の不穏な展開に呑み込まれ、自分はパク一家なのかキム一家なのか、それとも…と考えてしまう。
隣家のWi-Fiを必死に探す、あまりにもうまく行き過ぎるキム一家の計画、ムングァンとの戦闘シーンで華麗に冷蔵庫から桃を取り出すギジョン、パク邸から逃げ出す際の危機一髪のギテク。笑おうと思えばキリがない。本当に楽しい映画だ。だからこそ、この楽しさの裏側に「分かり合えない」という意識が潜んでいることが恐ろしい。パク一家とキム一家は言うまでもなく人間だが、富裕層か半地下の住人かという点で命運が分かれてしまった。映画には、しつこいほどに2つの家族の高低差を意識したシーンが現れる。それは暮らしている家もそうだが、半地下ですらない地下に住むムングァンの夫であったり、パク一家はソファーに寝てキム一家がその下のテーブルに隠れる場面であったり、パク邸が高い坂を上った先にあったり、何より階段を転げ落ちるムングァンが象徴的であった。
キャラクターの魅力、ギャグのセンス、テーマの深さとそれをしっかりと映画に取り入れている実力、どれをとっても完璧なのだけれど、大々的に宣伝されている伏線や展開に関しては少し物足りなさも感じている。「あれってこういうことだったのね」とか「もう一度観たらきっとあれに気づけるはず」とかそういう面白さはあるのだけれど、それが爆発する瞬間が来ないというか…。極端な話、怒りが頂点に達した貧民層の富裕層への逆襲でしかないという難点もあり…。それをこんな風な味付けにしているのはすごいのだけれど、個人的には度肝を抜くような展開ではなかったかなと。好きな映画ですけどね。
一番感動したのは『ラ・ラ・ランド』を彷彿とさせるラストシーン詐欺。家を内見して購入して地下にひっそりと暮らす父親と再会するハッピーエンドかと思わせておいて、それはあくまで手紙に書いた理想の話ですよーと、観客を突き放す演出。危うく泣きそうになってしまった。「夢を見ることで未来を切り拓ける」と「あくまで夢にすぎない」が同時に襲ってくる胸のざわつき。このシーンだけでなく、思い返せばこの映画には1つの出来事がいくつもの感情を湧き起こすシーンが多い。笑いと虚しさと苦しさと。
若干批判もしたが、全体的には楽しめたので大満足。先行公開ではほぼ満席でした(なのによりによって隣のやつがスマホ使ってきてなんというヒキだと驚愕した)。面白いことは間違いないし、ポン・ジュノ監督強いな~と思わされてしまったので過去作もちゃんと観るしこれからも追っていきます。