来たる2019年5月24日、ついに映画『貞子』が公開される。監督は1作目の『リング』をはじめ、シリーズの多くに関わった中田秀夫。主演には池田エライザを迎え、鈴木浩司原作の『タイド』を映像化するという試み。といっても、『貞子3D』や『貞子3D2』と同様、原作の登場人物の名前だけをなぞって、物語は全くのオリジナル路線なのだと思うが、それでも貞子シリーズの1作で令和最初の貞子になることは紛れもない事実。
ちなみに映画『貞子』の感想記事はこちら。
最初の映画『リング』から20年近くが経っていることも考えると、おそらく貞子を「テレビから出てくる幽霊」という認識の方も当時と比べて相当増えてきていると思いますが、実は原作の貞子はテレビから出てきたりはしません。このオリジナル演出こそが映画の素晴らしいところでもあり、また、逆に後世の一般的な貞子像に泥を塗るきっかけとなってしまいました。今では舞台挨拶に登壇し、始球式までこなすマスコットキャラクターと成り下がってしまった貞子。そんな彼女の原点である小説『リング』とそれに続く『らせん』、『ループ』の三部作に関してざっくりではあるがネタバレを含みつつ解説していこうと思う。
シリーズ1作目『リング』
言わずと知れた第1作。前述の通り、この小説こそが貞子の原点である。物語の主人公は浅川。親戚の女子高生の死を不審に思った浅川は、その女子高生と同時刻に3人の人間が死んだことを知る。実は4人は1週間前、あるリゾート施設に宿泊し、そこに置いてあった呪いのビデオを観てしまっていたのだ。同じビデオを再生してしまった浅川の命も残り1週間となり、浅川は旧友の高山にビデオのことを話し、助けを請う。しかし、まもなくして浅川の妻と娘が偶然にもビデオを観てしまい、浅川は家族を助けるため、ビデオの真実を知ろうと奔走するのだった。
映画では浅川は女性に変更され、松嶋菜々子が演じている。また、高山は真田広之が演じており、浅川とは元夫婦という関係性。さらに、高山には超能力があるという設定のため、サイコメトリーの能力で次々とビデオの真相に近づいていく。ある意味イージーモードな物語となっている。しかし、小説版の高山は普通の人間である。そのため、浅川と高山はビデオの映像を分析したり、リゾート施設の土地のことを調べるなどして非常にゆっくりと貞子にたどり着く。
『リング』が出版されたのは1991年。携帯電話すら一般的でない時代である。そんな時代に浅川たちは貞子の生まれた離島にまで赴き、自らの足で真相に近づいていく。また、1週間という絶妙なタイムリミットと、家族を救うという使命感が非常にうまく作用し、ページを捲る手を止めさせない。後のシリーズに登場する人物の多くはこの作品に既に登場しており、そういった意味でも序章にふさわしい1作。ビデオテープの謎に関しては、貞子の怨念というだけでは語り尽くせない非常に複雑な代物になっている。誕生の経緯を時系列にするとこうなる。
- 貞子の母親。志津子が役小角の像を海から拾い上げる
- 志津子が超能力に目覚める
- 同じく超能力を持つ貞子が生まれる
- 最後の天然痘患者である男に貞子がレイプされる
- 貞子、井戸に突き落とされ、数日後に死亡
- 超能力者である貞子の念写能力と天然痘ウイルスが融合
- 井戸の上にできたリゾート施設で録画されたビデオテープに念写
- こういった経緯で呪いのビデオテープが誕生する。浅川は当初、呪いから逃れるための「オマジナイ」は、”貞子を井戸から救いだす”ことだと思い、それを実行した。結果的に浅川は助かる者の、高山は死亡してしまう。死亡した高山の霊的な導きによって「オマジナイ」の正体が”ビデオをコピーして誰かに見せる”ことだと気づいた浅川は、妻と子供を車に乗せ、ビデオを観せるために両親の家へと赴くのだった。
映画との違いはかなりあるが、大きな点だけを抜き出すと以下になる。
- 浅川が女性に変更。それに伴い浅川と高山は元夫婦という設定
- 高山は超能力者に変更
- 貞子が両性具有者である設定、天然痘の設定をカット
- 貞子がテレビの中から出てくる
3に関してだが、この小説では貞子が両性具有者(男性でも女性でもない)である事実が次の『らせん』において重要な意味を持つ。『リング』の時点では非常に中性的な顔立ちや不思議な外見としてしか機能していない。
シリーズ2作目『らせん』
2作目の『らせん』は『リング』に登場した高山の大学時代の友人であり、解剖医である安藤が主人公。数年前に海の波にさらわれ息子を亡くし、妻ともうまくいかなくなった安藤のもとに、高山の職場に遺体が運ばれてくる。彼の体から不自然に出てきた紙切れに書かれた暗号をもとに、安藤はビデオテープを発端とする恐怖の事件へと関わることになる。
何より驚くのが、『リング』の主人公である浅川が救おうとした妻と子どもが死んでしまっているということ。安藤が事件を調べるうちに判明するのだが、浅川の両親がビデオテープを観て、これで一先ず妻と子供は安心だと思った矢先、車内で二人とも死んでしまうのである。そのことに愕然とした浅川は事故を起こして意識不明の昏睡状態。そして数日後に亡くなってしまう。まるで『リング』の物語を無に帰すようなスタートだが、実はこの『らせん』という作品自体が、ある意味『リング』と真逆の存在なのである。
『リング』は多くの人が知っている通り、「ホラー小説」に分類される。呪いのビデオテープを観た者は1週間以内に死ぬという恐怖から逃れるため、また家族を救うために奮闘する浅川の物語だ。ビデオテープに関しても出自が明らかになってはいるが、超能力という便利な設定を使ったフィクションらしいトリックになっている。しかし、『らせん』では、そういった「ホラーのお約束」にたいして科学的に理屈がつくようになる。
具体的な例を示そう。『らせん』においては、呪いのビデオテープのシステムが変更してしまったことが明らかになる。その犯人(無自覚だが)は浅川で、彼がビデオテープを巡る自らの一連の行動を記録してしまったがために、呪いは媒体をビデオテープから浅川の記録へと移したのである。移したと言っても、ビデオテープもまだ有効な辺りにこの呪いの質の悪さがうかがえる。要するに、ビデオテープに込められた貞子の超能力と天然痘ウイルスが融合した”呪い”は、より多くの人間に”感染”するために、様々なメディアへと活躍の場を広げるようになったのだ。
肝心なのは、この呪いに感染すると必ず1週間後に死んでしまう点。『リング』からお馴染みの設定ではあるが、『リング』ではこのカラクリには触れられていなかった。しかし、『らせん』では、ビデオテープを観たりや浅川の記録を読んだりした後に人間の体に入り込む呪いのことを「リングウイルス」と定義し、安藤の解剖医ならではの視点で、医学的見地からビデオテープの謎に迫っていく。ホラーの枠組みを飛び越え、重厚な物語が展開されるのである。確かにフィクションなので不可解な点は多いし、それなりにホラーな演出や設定も存在する。しかし、そのホラー的な展開にきちんと理屈がついているという意味で、『らせん』は傑作と言えるのである。
最終的に、リングウイルスの発展は感染者の拡大にとどまらず、貞子の増殖にまで手を広げた。というのも、リングウイルスが排卵日の女性に入り込んだ場合、精子を模したそのウイルスが子宮に侵入し、自動的に妊娠してしまうのである。これは貞子が「両性具有者」であることに関係している。そして、その妊娠の果てに生まれるのはなんと貞子なのである。生まれた貞子は急激に成長するどころか、胎児の時点で既に母体を乗っ取って都合のいいように行動させることができる。殺すことさえ可能なのだ。
つまり、この世界の多様性は失われ、人類はリングウイルスによって次々と死滅し、その代わりに貞子が地球上に君臨することになる。そんな壮大なディストピアを止めようとする安藤だったが、その途中で高山が実は人類を裏切り貞子側に加担していたことを知る。高山の遺体から暗号が出てきたことも、全ては彼の計画のうちだったのだ。そして貞子は、高山の復活を条件に、ある提案を持ち掛けてくる。それは安藤が亡くした息子を再生させるというものだった。結果、安藤はその誘惑に耐えきれず、高山を復活させてしまう。最後は、貞子の計画に加担した後ろめたさを追いやりながら、息子とのささやかな一時を楽しむ安藤のシーンで終わる。
この『らせん』も映画化されたが(『リング』と同時公開)、こちらは比較的原作に近い内容。『リング』が変わってしまった都合上、やむを得ない場面もあったが、大筋は変わっていない。
シリーズ3作目『ループ』
1本のビデオテープに始まり、人類が滅亡し貞子が地球に君臨するというディストピアを予感させたリングシリーズ。その完結編と銘打たれた『ループ』は、前2作以上にとんでもないストーリーが展開していく。
主人公は二見馨。医師の卵として勉強中の身である青年。しかし、猛威を振るう新種のガンウイルスに父親が感染。また、病院で仲良くなったシングルマザーの礼子の息子も、同じウイルスに感染していた。徐々に礼子との中を深めていく馨だったが、二人の仲に気づいた礼子の息子は、将来に絶望し自殺。それを期に、礼子と馨の距離も遠ざかっていくが、彼女を諦めきれない馨はウイルスの謎を解こうと、父親が関わっていたというあるプロジェクトを調査するために単身アメリカへと赴く。そこでは『ループ』という仮想世界の実験が行われていた。
何も知らない方はおそらくここまでのあらすじを読んで何か間違えているのではないかと思ったかもしれないが、心配はいらない。それはこの『ループ』を読んだ人間誰もが持った違和感なのである。率直に解説をすると、人類はループと呼ばれる研究で、コンピューターの中に生命を創造した。その人工生命を監視する研究はループ・プロジェクトと呼ばれている。馨の父はループ・プロジェクトに携わっていたのだ。
ここからが重要なポイントである。実は、『リング』と『らせん』で起きた一連のビデオテープを巡る事件は全てこのループ・プロジェクトの一環なのだ。つまり、貞子も浅川も高山も安藤も現実世界の人間ではなく、コンピューターの中に存在する人工生命なのである。そう、もはやリングシリーズはホラーではなく、SFの境地にまで足を踏み入れたのだ。貞子の正体が実はコンピューターウイルスだなどと言われてもそう簡単に納得できないだろうが、そこに説得力を持たせてしまうのが鈴木光司のすごいところ。見事な筆力で三部作を完結させてしまう。ここまで進化を遂げたホラー小説は滅多にないのではないだろうか。
話を本編に戻す。実はループ・プロジェクトは数年前に停止してしまった。その理由は予算不足だったが、そうなる直前にループは壊れてしまったというのだ。その”壊れた”が表す意味こそ、貞子化なのである。つまり、ループの中で貞子が増殖し、人類が絶滅してしまったために仮想世界は終了し、同時にループ・プロジェクトも停止してしまったというわけである。しかし、馨はそこである事実にたどり着く。それは、今人類を脅かし自らの父親までをも殺したガンウイルスが、ループ世界からやってきたものだということである。
そこでカギになるのが馨の存在。実はこの二見馨の正体は、1作目で浅川と行動を共にし、貞子に殺され、2作目で人類を裏切り貞子に加担した高山なのである。1作目の死の直前、ループ世界の人物でありながら世界の真実(自らのいる世界がループ世界であること)に気づいた彼は、現実世界に電話をかけ、「俺をそっちに連れて行ってくれ!」と訴える。それを面白がった研究者の一人がDNA情報を記録し、生命を生み出し、子どものいない馨の両親のもとへ預けたのだ。しかし、ここにはある誤算があった。研究者がDNAを複製した時点で、高山はリングウイルスに感染していたのだ。そのため、リングウイルス自体も現実世界に生み出してしまうこととなり、それこそが世界で猛威を振るっている新種のガンウイルスだったのだ。
そして、そのワクチンを作るためには馨の体をニュートリノで分析する必要がある。しかし、それをすれば馨は記憶はそのままに、ループ世界へと帰ることになる。二度と礼子と会うことは叶わない。苦しい決断だったが、人類を救うため馨は礼子との再会を犠牲にしてループ世界へと帰っていく。そして、現実世界で研究者に約束したよう、貞子の増殖を食い止めて人類の再興に貢献するのだった。
『リング』と『らせん』での出来事が実は仮想世界での物語だったという事実に加え、前作で人類を裏切ったはずの高山こそが実は世界を救う使命を背負った救世主であったという衝撃。前2作ほどの緊迫感はないものの、人類の根源に迫るような物語は非常に読みごたえがある。
常に前作を裏切ろうという姿勢が、物語を次々と飛躍させていく。1本のビデオテープから、人類の根源にまで迫っていくこの物語は、ホラーの枠組みに収まることなく、壮大な神話であるといえる。突然のSFという突飛さを考えれば、『ループ』が映像化されなかったことにも納得がいくだろう。
「貞子って何?」と訊かれれば、多くの人が「死んだ女性の幽霊」やそれに近い回答をするだろう。しかし、実際には「仮想世界に突然現れたバグ」という表現が正しい。貞子は人間でも霊でも怪物でもマスコットキャラクターでもなく、仮想世界を破壊したバグなのだ。そう考えると、霊よりはマスコットキャラクターの方が近いのかもしれない。長い黒髪とテレビから登場するという能力ばかりが取り沙汰されるが、そんな衝撃よりも『ループ』で提示される事実の方がよっぽど驚きだと私は思う。
近いうちには『貞子』も公開されるため、これを期に貞子に関して理解を深めていくのもいいのかもしれない。また、物語の真相を知っていたとしても、鈴木光司の筆力は素晴らしく、どんどん読ませる力があるため、未読の方はぜひ読んでいただきたい。