同時上映の『仮面ライダージオウ』が平成という時代を締めくくったのとは対照的に、『リュウソウジャー』は令和最初の劇場版として、良くも悪くも非常に堅実な作りだったように思う。例年の戦隊映画の基本フォーマットに乗せながらその戦隊らしさをスクリーンで堪能できる。尺が30分ほどしかないためできることは限られるが、だからこそスピード感に溢れ、時には倍の尺を持つ仮面ライダー映画をも上回る内容になっている、私にとってスーパー戦隊の映画はそんなイメージだ。しかし、リュウソウジャーにおいては「リュウソウジャーらしさ」というのが難点で、というのもリュウソウジャーは他の戦隊に比べてキャラクターの個性がなく、面白味が出せていない。私の中では綺麗事を並べて最後にダンスをすれば上手くまとまると思っている野蛮な戦隊というイメージが払拭できていない。それほどまでにリュウソウジャーの発言には中身がなく、スカスカの正義感を振りかざされることが非常に不愉快である。そして、その空虚なスタイルは劇場版でも健在だった。
リュウソウジャーに関しての感想はこちらを読んでほしい。12話時点での感想だが、今も大体同じような思いを抱いている。とにかくリュウソウジャーはキャラクターの掘り下げが甘く、物語もマイナソーの親探しという妙な方向に脱線してしまっている。これは刑事ドラマを主に書いてきたメインライターの山岡さんの影響が大きいように思う。マイナソーの能力の謎解きとマイナソーの親が抱える問題が絡み合う物語は確かに魅力的だが、そこに時間を割くのであればもっとリュウソウジャー5人のことを描くべきなのではないかなあとは思う。一言で言えば面白くないのだ。
見た目やコンセプト、騎士竜たちが男心をくすぐるカッコいいデザインなのに、肝心の物語がちぐはぐではやはり締まらない。中身の伴わない空虚な綺麗事を並べるだけのヒーローたちに私は辟易している。この5人のどの口がそんなことを言うのだろう。彼らの発言は、作り手(主に脚本家)に言わされている感が強く、キャラクター像が全く見えてこないのだ。
悪口ばかりになってしまったが、肝心の劇場版の話をしよう。
まずよかったのは今回のリュウソウジャーの敵、ヴァルマが真っ当な悪役だった点。これまでドルイドンはクレオンとのコントなどで、どうにもゆる~いイメージがついてしまっており、それでいてやっていることは非道という、微妙なキャラクターになってしまっていた。しかし、佐野史郎演じるヴァルマはガイソーグの鎧を作って狂人と化し、選民思想に蝕まれ独裁者として君臨する。最終的には親子の情によって娘と和解するのだが、それまでのリュウソウ族の人間を戦わせる残忍さや非道さは佐野史郎の演技力も相俟って大したものだった。しかし、せっかく悪しきリュウソウ族という魅力的なキャラクターを出した割にはコウ達はそのことについて全く意見を述べず。リュウソウ族の誇りがうんたらとか、そういう説教の方がまだ説得力があったのだが、いつも通り出自の分からない正義感を振りかざすだけの物語になってしまったのが残念。
また、北原里英演じるユノがコウ達を頼る展開も謎だ。ユノと会ってからコウ達は特に何かをしたわけではなく、彼らがリュウソウジャーであること、またリュウソウジャーがどういう存在なのかということも説明していない。それなのに、ヴァルマの凶行を止めてくれと突然頼み込むのはまるで納得がいかない。何より、こういった展開はユノだけでなくテレビシリーズでも多いことが難点である。コウ達を見ていても全く頼れるような存在には思えないのに、人々は何故彼らを正義の拠り所としているのか。そこにしっかりと理屈を持たせず、ふわっとさせている辺りがリュウソウジャーの良くないところだ。
奇しくもジオウとネタがかぶったタイムスリップ展開だが、こちらはマイナソーの能力ということで瞬時にカタが付く。その後、6500万年前でヴァルマと戦い、歴史より巨大な隕石を止めることになる。ここに関してリュウソウジャーは真っ先に隕石を止める方向へ流れる。一応、バンバが歴史を変えることに言及するのだが「俺たちも死ぬことになるぞ」という何故か自分たち目線の発言。そもそも歴史を変えてしまうことにもっと慎重になるべきではないのか。仮にそうしないことが最終的な決断だとしても、もっと意見が出たりとかそういうことはないのか。5人もいるのに脚本の都合でいつも適当に団結してしまうのだこいつらは。同時上映のジオウが歴史を変えることに非常に慎重になっているのに、コイツらは偶然のタイムスリップの結果、目の前の隕石を止めて恐竜とリュウソウ族を救おうという納得のいかない正義感で独自に動く。とんでもないやつらだ。
最後の隕石によって次元の裂け目ができるという展開も都合がよすぎるし、コウ一人を置き去りにすることに他の4人があまり抵抗がないのも悲しい。その点、博物館に戻ったら必死に探し続けるのだ……。カナロは変身すらなく、お得意のナンパと最後のダンスだけの登場。ラストのちょっとしんみり終わる感じもあまり好みではないのだが、ケボーンダンスは全てを忘れさせてくれる。リュウソウジャーはケボーンダンスでなんとか視聴率を持続している状況なのではないだろうか。踊ることの偉大さを教えてくれる作品だ。
気になるのは久々に登場したタンクジョウ様の「リュウソウ族の宇宙船は全て破壊した」という発言。私はリュウソウジャーをしっかり観ていないから見落としたのかもしれないが、リュウソウ族って宇宙人だったっけ? もしくは宇宙に行くほどの文明を持っていたとか? いきなりこのセリフから映画が始まるので思わず動揺してしまった。
良かったのはやはりキシリュウオーのアクション。こちらも久々に上堀内ダッシュを拝むことができて眼福である。ジョイント合体もスムーズで、劇場版ならではのアクションの力強さを感じることができた。だが、肝心の映画限定騎士竜、キシリュウジンはちょっと活躍が微妙だったような。少なくともあれで玩具が欲しくはならない。何ならレッドは操縦すらしない…。これはリュウソウジャーの特徴である等身大戦での敵撃破廃止が大きく関係している。結果的にコウVSヴァルマと他4人VS隕石という構図ができたのだが、キシリュウジンがその割を食った形だ。レッドが優遇されるのは戦隊映画の常だが、そのレッドが映画限定ロボに触りもしないというおかしさ。これは逆に新鮮だったと思う。
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20話近くが放送されてもこの傾向なのだから、きっとリュウソウジャーは今後も変わることがないのだろう。私の中では戦隊史上ワーストに近いレベルの作品なのだが、騎士竜がカッコいいので玩具の売り上げは好調のようだ。ただ、子供番組をバカにしたような倫理観の薄い脚本や、キャラクターの支離滅裂な言動はどうにかしてほしい。何より、脚本家の山岡潤平が戦隊におけるカラーリングされた記号的なキャラ分けを利用しているようなのが気に食わない。戦隊が42作かけて培ってきた熱血レッド、頭脳派ブルー、紅一点ピンクなどの色分けされたパーソナリティをそのまま提供してきているような脚本が本当に気持ち悪い。カラーリングを出発点としてキャラクターを書くべきなのに、色からくる印象の域を出ず、背景もないのに正義感だけ振りかざすエセ騎士たちを見るのは非常に苦痛である。
辛口になってしまったが、正直騎士竜とケボーンダンス以外は全く褒めることができないのが『騎士竜戦隊リュウソウジャー』であり、映画も同様だった。おそらく最終回までこんな感じだろうと思うので、あまり期待はしないでおこう。
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