映画ファンには大きく分けて洋画派と邦画派の2種類がいるが、洋画にも邦画にも当てはまらない作品は当然のことながら数多く存在する。インド映画=すぐ踊る、というイメージも一般的に定着している時代だ。今回鑑賞したのは、お隣の韓国からやってきたホラー風ミステリー映画『サバハ』。キリスト教と仏教の概念を盛り込みながら、予測不能な結末へと着地する見事な映画だった。確かに演出がホラーがかっているシーンもあるにはあるが、特に観てる人を怖がらせようという意図までは感じない。この映画にあるのは表面的な恐怖ではなく、信仰心という人間にとって欠かせない感情なのだと思う。
ちなみに、タイトルの「サバハ」は、サンスクリット語真言の呪文の最後につく言葉で、「円満に叶う」という意味を持つらしい。映画の結末から考えると、このタイトルは非常に奥が深いものと言えるが、物語の中には「円満に叶えられなかった」者たちが数多く登場する。そういった意味でも「願い」や「信仰心」を主題とした作品なのだろう。
双子の女の子が生まれるも、姉は子宮の中で妹の足を食いちぎるほどの悪鬼であった。家族は、今にも死んでしまいそうな姉のことを心配していたが、出生届すら提出されず公には存在しないはずの彼女は、その後も生き続けた。しかし、両親の死などが重なり、妹も祖父母も彼女の異常性に気づく。言葉も教えず、接触もせず、家族はその悪鬼を15年もの間監禁し続けたのだ。
これが、この映画の冒頭。いかにも恐怖を喚起する設定だが、彼女らの存在はその後しばらく放っておかれ、物語はパク牧師という、新興宗教の調査を行う貧乏牧師の視点で進んでいきます。彼の今回のターゲットは「将軍」を崇め奉る謎の宗教。その異常性を偉い僧侶たちに問うも、全く相手にされない。しかし、その宗教に関わる人物がある少女殺人事件に関わっていることが判明し、事態は急展開を迎える。
ネタバレ記事なので、詳細な内容は割愛。ここからはあくまで鑑賞後の感想を書いていこうと思う。
解説
宗教的背景を持った作品はそう珍しくはなく、安っぽいホラー映画にもカルト宗教ものやキリスト教系のものは無数に存在する。しかし、この映画は韓国映画ということもあり、仏教がメイン。それに対して主人公のパク牧師は当然キリスト教徒なのだが、この2つの「神」と「仏」という価値観の違いを描いているようにも思う。一言で言えば、とても面白かったというわけだ。
ただの一般人であるパク牧師が、人智を超えた事件にずぶずぶと浸かっていく様子は小説版の『リング』にも通じる緊張感がある。
最初は怪しい新興宗教を探っていただけのはずなのに、その宗教団体の奉る者の正体を知り、15年にわたって続けられてきた殺人事件の真実を知り、そして不死の肉体を手に入れた仏の存在にすら迫ってしまう。観客の視点であるパク牧師と並行して、広目天の不審な暗躍が進んでいく。最初は宗教的背景があることで、かなり難しい観念的な映画なのかとも思ったが、最後まで観ればその全体像がはっきりしてくる。もしよく分からなかったという人のために、一応時系列にこの映画の出来事をまとめてみる。
・不死の存在であるキム・ジェソクが誕生する
・ジェソク、チベットの高僧によって自らの死を教えられる
・ジェソク、教典(自分を殺す可能性のある少女のリスト)を書く
・ジェソク、少年院を支援し、父親を殺した4人の少年を味方につける(この時、自らの正体を隠して傀儡を使う)
・ジェソクを殺す少女、”蛇”誕生。しかし、家族が気味悪がり、出生届は出されず
・4人の少年が出所。教典に従って1999年寧越生まれの少女を殺害していく
・パク牧師、少年たちが関係する新興宗教を調査
・持国天が死亡。4人の少年のうち、残りは広目天のみに
・パク牧師、ジェソクの存在を知る
・広目天、”蛇”の双子の妹を誘拐。そこで彼女の姉こそ蛇だと確信
・広目天、”蛇”と接触するも、6本の指を見せられジェソクに騙されていると言われる
・広目天、本物のジェソクに撃たれ負傷
・パク牧師、ジェソクの正体を知る
・広目天、ジェソクと対決。火を放ちジェソクを殺害
以上が大雑把な物語の流れである。映画では、パク牧師が登場したところから物語が始まるため、次々と謎が提示されていく。それを宗教的な知識で少しずつ紐解いていくテンポ感が抜群。いきなり真相にたどり着くのではなく、新興宗教ではどうやら広目天などが崇められているらしい、どうやら4か所存在するらしい、後光があるものないもの、など、非常に緻密に真相に迫っていく。一旦目を離すとついていけなくなるようなスピード感が逆に集中力を生むタイプの映画だ。
物語のテーマとしては、「神について」なのだろう。重要な場面でパク牧師は何度か神に祈りをささげる。エンドロール直前には、神に対して問いを投げかける。その言葉こそがこの映画のメッセージでありテーマにつながっている。
人智を超えた存在の悪意によって振り回された広目天ら4人。彼らは神への信仰心を確かに持っていた。しかし、間違った神に付き従ったことにより、結果的に大虐殺の犯人になってしまったのだ。殺した少女たちの幻影に悩まされて眠れぬ日々を過ごす広目天。それでも、これが正しい行いだと信じて突き通してきた意志が、ある日突然嘘だったと告げられる恐怖。物語の観察者であるパク牧師は、彼の悲しい生き様を通して、姿を現さない神に対し、疑念を確かにする。この物語の根幹は「信仰心」にあるのだと思う。
などとまあ長く語ってしまったが、適度に驚かせてくれるような仕掛けも配置されており、非常に緻密に構成された物語である。鑑賞者であるはずの私たちの視点は、いつしかパク牧師と一体化し、この悲劇の物語の結末を見届けることになる。まるで諸星大二郎の『妖怪ハンター』シリーズのような、なんとも言えない不思議な余韻のある映画だ。