映画「白ゆき姫殺人事件」ネタバレ感想! SNSの恐怖をリアルに描くもその答えにはたどり着かず

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はじめに

この映画が公開された当時私は高校生だったのだが、同級生がこぞってこの映画のことを話題にしていたことをよく覚えている。観に行った感想ではなく、「観に行きたい!」という願望だったのだけれど。しかしまあ、SNSに踊らされる者たちを描く作品というのは若者にとってかなり関心が高い映画というわけで、かく言う私も当時はかなり興味を持っていた。監督が「ほんとにあった呪いのビデオ」シリーズや「ゴールデンスランバー」などで有名な中村義洋監督であったことがその大きな理由である。ホラー風味のサスペンスという題材を彼がどう撮るのか非常に興味があった。
結局劇場へ足を運ぶことはなくつい先日初めて鑑賞したのだが、中村監督の持ち味が見事に発揮されていたように思えた。幽霊の類は一切出ないにも関わらず、背筋が凍るような感覚を味わうことができる。しかし、肝心の内容に満足できたかというと、それはまた別の話である。

あらすじ

国定公園・しぐれ谷で誰もが認める美人OLが惨殺された。
全身をめった刺しにされ、その後、火をつけられた不可解な殺人事件を巡り、一人の女に疑惑の目が集まる。
彼女の名前は城野美姫(井上真央)。同期入社した被害者の三木典子(菜々緒)とは対照的に地味で特徴のないOLだ。
テレビ局でワイドショーを制作するディレクター・赤星雄治(綾野剛)は、彼女の行動に疑問を抱き、その足取りを追いかける。
取材を通じてさまざまな噂を語り始める、美姫の同僚・同級生・家族・故郷の人々。
「城野さんは典子さんに付き合っていた人を取られた……押さえていたものが爆発したんだと思う、あの事件の夜」
「小学生の頃、よく呪いの儀式をやってたって。被害者の殺され方が呪いの儀式と同じでしょう?」
「彼女が犯人です、間違いありません! 」
テレビ報道は過熱し、ネットは炎上。噂が噂を呼び、口コミの恐怖は広がっていく。
果たして城野美姫は残忍な魔女なのか? それとも──。 (Amazon商品ページより抜粋)

予告

スタッフ・キャスト

監督:中村義洋

「ほんとにあった! 呪いのビデオ」シリーズの偉大なる功労者。「アヒルと鴨のコインロッカー」、「チーム・バチスタの栄光」など数々の邦画で監督を務める。

脚本:林民生

アニメ「YAT安心! 宇宙旅行」や特撮番組「超星艦隊セイザーX」でシリーズ構成を務める。近年では「永遠の0」「予告犯」「空飛ぶタイヤ」などの邦画対策でも脚本を書いている。

城野美姫:井上真央

狩野らの話と赤星の取材によって、三木典子殺害の犯人にされてしまう女性。内気な女性であるが、過去には火事を起こしたこともあるという。彼女の正体については、ネタバレになるので何も言えない。キャスト紹介なのに……。

赤星雄治:綾野剛

テレビワイドショー「カベミミッ!」の制作を請け負う契約ディレクター。知人の狩野から事件の連絡を受け、城野が犯人ではないかと疑い、その線での取材を独断で決行。彼の関係者への取材が城野を追い詰める結果となる。

狩野里沙子:蓮佛美沙子

赤星の古い知人で、城野や三木の後輩。彼女が赤星に事件や城野の情報を与えたことが、この映画の発端となる。

三木典子:菜々緒

事件の被害者。美人。城野とは同期入社。赤星による狩野らの取材では、誰にでも優しく容姿端麗で理想的な美人とされているが、その本性は……。

谷村夕子:貫地谷しほり

城野の小学校時代の友だち。城野曰く、「今まで会った中で一番の美人」。城野と共に村で火事を起こしたことがきっかけで、絶縁。その後は引きこもりとなる。

感想(ネタバレあり)

原作が湊かなえの小説というだけあって、ロジカルな仕掛けが至る所に隠されている。「お城の美しいお姫さま」と書いて城野美姫、「夕子(ゆうこ)」と書いてタコと読むなど。調べたところによると、監督は数々の小説的な特徴を映像で表現することに腐心したという。まず、リアルに寄せている点。小説では架空のSNSを題材にしているらしいのだが、映画で使われるのは現代人お馴染みのTwitter。また、劇中で何度も出てくるワイドショーのシーンもいかにも”それっぽく”作られている。司会者やコメンテーター、ナレーターの話しぶり、仕草、そして再現映像までもがワイドショーの完全なる模倣になっており、この辺りはさすが心霊番組を何本も監督した中村監督である。徹底的な現実へのこだわりを画面から感じ取ることができる。

しかし、映画の構成にはかなりガッカリしてしまった。というのも、SNSによって殺人犯扱いされてしまうことの恐ろしさを描いておきながら、そこにある人々の葛藤や嘆き・怒りは極端なほどに薄い。そう、一言でいえばこの映画は「ドキュメンタリーで完結してしまっている」のだ。
映画の冒頭で事件が起こり、ディレクターの赤星が城野を知る者たちを次々と取材していく。彼はSNSの拡散力を利用し、自らが事件を暴き名声を得ようと躍起になっている。そのためには手段を選ばないというキャラクターなのだが、彼が用いた”手段”の一つがTwitterなのであった。彼は取材中もずっとスマートフォンを手放さない。個人のTwitterで事件の進捗をつぶやくためだ。その後も取材を続ける赤星は、撮影の許可が出ずともカメラを回し、その映像を勝手にワイドショーに使う。彼が正しいと確信した「城野美姫犯人説」は世論の煽りを受けて、一般論へとすり替わっていき、世間の城野に対する風当たりも強くなっていく。

後半、視点が切り替わり、美姫が過去を回想する。「人は都合のいいように記憶を改ざんする」という言葉のとおり、美姫の同僚たちの証言は憶測にすぎなかった。現実の切り取り方が奇妙なすれ違いを起こし、殺人犯に仕立て上げられてしまった美姫はついに自殺を試みる。しかし、その最中、真犯人の狩野が逮捕されたのであった。そして、狩野が事件の真実を語る……。

証言の食い違いを描いた映画で最も有名なものは黒澤明監督の「羅生門」だろう。これは芥川龍之介の「藪の中」という小説を映像化したものだが、証言者によって事件の全容が全く異なり、結局最後まで真相はわからない。まさに「藪の中」である。だが、この映画は違う。「城野美姫が犯人」という先入観に捉われた人々の証言が真実を捻じ曲げていく物語である。これは予告の時点で分かる。前述した通り、この映画は思い込みが記憶を歪めるという哲学的な物語ではなく、単純にSNSを題材にしたサスペンスと捉えるのが正しい。しかし、それにしてはいささかカタルシスに欠け、テーマも消化できていない印象だ。

そもそもこの映画の構造に問題がある。要するに、AさんのことをBさんCさんDさんから聞いたら恐ろしい事実が判明したけど、Aさんに改めて聞いてみたら全部嘘でした。みたいな流れなのだ。デマの流布に踊らされる人々やそれに悩む主人公の描写は少なく、ただ一人一人の目線で事件前の出来事が描かれる。いや、この構造、映画としてどうなの? と疑問に思ってしまう。こちらとしては、美姫の心情が前半に全く出てこないことで、証言の数々が間違っていることは明白だし、その答え合わせも盛り上がらない。だが、ワイドショーの再現率はやたら高いし、菜々緒はすごく嫌な奴な気がする。物語の最後で、美姫は過去に親友だった夕子の存在に励まされる。これにより、匿名の第三者よりも過去に培った絆の方が強いということを示してはいる。また、赤星が職を失い、美姫の実家に謝罪に行くというオチのおかげで、不確定な情報を安易にネットに晒すことへの警鐘も鳴らしている。だが、描写としては薄い。要するにこの映画、観客も事件に関わりのない第三者というわけなのだが、それならこのオチは蛇足だろう。

移り変わる真実を描いた作品に、「白雪姫」や「赤毛のアン」など普遍的な童話の物語をモチーフとして使われているという綺麗な対比、映像化により徹底的に演出される現実味。しかし、観客は第三者でいることを強いられる。この映画に没入することは決して許されないのだ。それでいて、我々に圧倒的なSNSの恐怖を与えられたかも疑問が残る。結果的には凡作になってしまったことが残念でならない。

白ゆき姫殺人事件

白ゆき姫殺人事件

白ゆき姫殺人事件 (集英社文庫)

白ゆき姫殺人事件 (集英社文庫)

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