ワイルド(wild)とは、英語で野生・野蛮・乱暴などの意味を持つ言葉であるが、日本では全身をデニムでコーディネートした1人の芸人によって、半ば揶揄するような意味合いも含まれてしまった。しかし、アクション映画を頻繁に鑑賞する人にとっては、更にもう一つの意味を持つ言葉である。そう、我々にとってワイルドから車やレースを連想するのは非常に容易い作業なのだ。それもこれも、『ワイルド・スピード』シリーズのおかげである。
犯罪者集団のボスとそこに潜入したFBI捜査官がカーレースを通じて交流を深めるうちにいつしか無二の親友になっていく…という1作目からアクションがどんどん飛躍して直近のスピンオフではサイボーグまで登場させてしまう究極のアクション映画『ワイルド・スピード』。その大ヒットのおかげで私たちは「ワイルド」という言葉に非常に敏感になった。そして、この映画『ワイルド・レース』も例外ではない。もはや「馬から落馬する」レベルの表現に聞こえてくる。余談だが、『ワイルド・スピード』の1作目を監督したロブ・コーエンの最新作も『ワイルド・ストーム』という邦題である(車も出てくる)。
主演こそジョン・トラボルタだがその他の役者はあまり見かけない顔ぶれ。見ての通り、ジャケットもこっちを向いているジョン・トラボルタ。特に何かをしているわけでもなく、険しい表情を浮かべるでもなく、ただ真っ直ぐ正面を見つめている。その横には炎のようなエフェクトがかかった「限界を超えろ。」の文字。限界とは一体なんなのか。彼の表情と横の文字だけでは何も分からないが、安心してほしい。ジャケットの下半分にはレーシングカーに加え、「熱きレーサーたちの超エキサイティング・カーアクション」という説明がなされている。だが、観た人なら分かる通り決してエキサイティングなどではない。むしろレースシーンの迫力のなさを取り上げなくてはならないのである。
ジョン・トラボルタ演じるサム・マンローは伝説のレーサーだった。一線を退き、今は同じくレーサーの息子キャムを応援しているが、そのことをプレッシャーに感じていたキャムはライバルチームへの移籍を決意。2人の間にできた深い溝は果たして埋まるのだろうか…。という物語。
要は親子喧嘩からの仲直りという王道パターンで特にいい演出等もなく、淡々と物語が進みます。
ここからはネタバレ。
その仲直りのキッカケというのが、息子キャムの事故。レース中、キャムにサムが衝突したことで車は炎上。キャムは下半身を骨折する大怪我を負う。それまでマトモに会話をしてこなかった親子が病室でようやく本音を吐露するのだが、正直「レーサーなんだから怪我くらい覚悟の上」という前提で話が進むのでサムの事故への罪悪感というのはなかなか薄い。しかも移籍を決意するほどの一大事だったはずなのに、病室での会話だけでサムは引退してキャムのサポートに回ってしまう。
サムが大切にしていた車も売り払い、資金を集めてキャム用のハイスペックレーシングカーを作り、見事キャムは優勝! という捻りのない展開。ここまではよしとしよう。物語が薄っぺらい映画なんて星の数ほどある。意味不明な展開をされるより見え見えの方がマシだ。だが、この映画の残念なところは肝心のレースシーンが本当にしょうもないところなのである。
声の主が誰なのかすら分からない実況中継が延々と続くせいで臨場感はゼロ。車のエンジン音すらかき消されてしまう。しかし、その実況がないとどちらが買っているのか分かりづらいという斬新なカット割り。ラストレースなんかはブゥゥンと車が走るシーンとサム達が大喜びするシーンがツギハギのように繋ぎ合わされていて見るに耐えない。レースものではあるが、テクニックが重視される内容ではないのでしれっとライバルを追い抜かしてしまう。だらだらと鑑賞しているといつの間にかキャムが優勝していた。彼の優勝で、親子の確執は完全に消え去りハッピーエンドが訪れるのである。
物語がありきたりならせめてレースシーンは頑張ってほしかったなあという願望。パッケージのトラボルタの表情は、私たちの鑑賞後の感情を表しているとでもいうのだろうか。「ワイルド」とついた邦題だが、どうやらただ車関係の映画だからという理由のようだ。野蛮でも乱暴でもなく、こじんまりとしていたのは非常に残念である。
- 作者: キャシーウォラード,ダンケイネン,Kathy Wollard,Dan Kainen,きたなおこ
- 出版社/メーカー: 大日本絵画
- 発売日: 2017/12/13
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